いま、学校の授業やカリキュラムという枠組みを軽々と飛び越え、独学でエンジニアリングやデザイン、あるいは複雑な戦略ゲームの解析まで、驚異的なスピードでスキルを習得する若者が明らかに増えているなと感じる場面が多くあります。
彼らの学習スタイルについて見聞きしてみると、ある共通点に気づかされます。それは、「生成AIを専属のコーチや壁打ち相手としてフル活用している」という点。

かつての独学といえば、教科書を読み込み、不明点をひたすら検索し、それでも分からなければ諦めるという孤独なプロセスでしたが、現代には生成AIがあります。
「これを作りたいが、どこから手をつければいいか」「なぜこのコードが動かないのか」「この概念を小学生でもわかるように例えて」といった問いを生成AIに投げかけ、ものの数秒で的確な返答(たまにおかしな返答もある)を受け取れます。AIという膨大な知識ベースを相手に、時を選ばず何度でも納得いくまで議論を重ねる。この「壁打ち」の繰り返しが、学習コストを劇的に下げ、習得スピードを大幅に加速させている・・PDCAのサイクルを高速回転出来る環境が多くの人に与えられていると言えます。
しかし、どれほど優秀な生成AIを相棒にしても、スキルの習得に大きな個人差が生まれます。その分かれ道となるのが、実は「国語力」なのではないか、と考えます。ここでいう国語力とは、単なるテストの点数ではなく、以下の3つの要素を指します。
「問いを立てる力」:自分の状況や課題を、AIが理解できる言葉で正確に定義する力。曖昧な悩みは、曖昧な回答しか引き出せません。
「論理的な構造化能力」:AIからの回答を読み解き、自分の知識と照らし合わせ、何が正しく何が不足しているかを論理的に整理する力。
「文脈を読み取る力」:専門用語や概念の背後にある「なぜそうなるのか」という文脈(コンテキスト)を言語化し、AIとの対話を通して再構築する力。
「生成AIを使えば、誰でも天才になれる」という意見を耳にすることがありますが、残念ながら多くの人には当てはまらないと思われます。
AIは「何を問うか」によってその出力を180度変えます。つまり、言語化能力が低い人間にとっては「便利な検索ツール」で止まりますが、それなりに国語力を持つ人間にとっては「最強の思考拡張デバイス」になるのです。
今後、どれほどAIが進化しても、最終的に「自分が何をしたいのか」「どの知識が自分にとって価値があるのか」を言語化し、AIから引き出し、それを実社会での成果に結びつけるのは、生身の人間である訳で、AIが勝手にやってくれるものではない訳で、AIを使いこなす知力が問われる事でしょう。
AIが発達したら人間はもっと勉強しなくてはならない。学校の中でも外でも、己のスキルを磨こうとする意欲的な人にとって、本を読み、書き、他者と対話議論する・・そんな「国語」の基礎体力がより大事になってきたと日々感じてます。
道具(AI)が鋭くなればなるほど、それを握る「手」である思考と言葉の力こそが、圧倒的な差別化要因になるのですから。
「ええっと、あの、あれ、あれ・・」などと生成AIに尋ねても、望んだ回答は得られません。
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